船内を見回した第一印象は 当たり前とは解りつつも 男性のみしか居ないという事だった。
本音を言うと心配だったのだ。もしも連れ去られた女性だ何だと言ったら おそらく自分はその場で逃がしてしまうという妙な自信が雛森の中にあった。
もしも無断で捕虜を逃がしてしまえば その場で雛森は裏切り者になってしまう。
折角殺される事なく乗り込めたのに そんな所で終わるわけにはいかない。
「雛森?」
「は はいっ!」
ゾクリとする低音に 一瞬目眩がしたけれども その続きに紡がれた言葉で意識を取り戻した。
「お前は歌姫としてじゃなくて 娼婦として売り込んで来た事を忘れんなよ?」
一拍遅れて何を言われたのか理解し、一気に雛森の頬は紅潮した。
「あっ あ あ あの あたし その えっと…っ!…へ…下手…だと…思…」
雛森がそこまで必死の思いで口の中でごにょごにょと呟くと ぷっと日番谷が吹き出した。
「お前 良くそれで売り込んできたな?」
その笑みが やけに新鮮で 何故かやけに輝いて見えて。
雛森はもうこれ以上赤くなりようのない頬がさらに赤身を増すのを感じて慌てて顔を伏せた。
「ま とりあえずは悪ィけど部屋は数が無ェんで俺と同室。仕事はその時々に言うから よろしく頼むぜ?」
こくりと頷いて ペンダントをぎゅっと握りしめる。そう ここから始まるのだ−…。
「じゃ 早速だが。」
一瞬間日番谷の顔が真顔になる。
雛森はごくりと唾を飲み込んだ。
「メシ 作れるか?」
一番栄養を捨てずに済むシチューを コトコトと煮込む。
簡単に言えば コックが倒れたそうだ。一瞬の真顔に どれだけ難しい仕事があるのかと一瞬身構えた自分がほんの少し恥ずかしかった。
…否 これも大切な仕事ではあるのだけれども。
(それにしても)
と一人静かにシチューをかき混ぜながら思考を始める。
予想以上というか。予想外というか。優しい人だと思う。
悪人若人で固定されたイメージの違いを思い知らされる。
そういえばと脳内で話は続いてゆく。
彼が名前を呼べと言われた時に 何故君付けしたのだろうか−…。普通では失礼にあたる筈だ。
様とか さん付けとか 本来ならば船長にはそんなのが一般的な筈なのに。
そんな事を考えながら お玉に直接唇を寄せて少しだけ啜った。
出来は上々だった。
「よし 完成っ!」
満足げに一人頷いて 多少ご機嫌気味に日番谷を呼ぶ。
「日番谷君 出来たよっ!」
キッチンから叫ぶと 向こう側から短く おう という返事が聞こえる。
そして続いて ガランガランと鐘が鳴り 彼の叫び声が船内に響く。
「野郎共!マトモな飯だ 3分以内に来ない奴は食いっぱぐれるぞ!」
マトモなという言葉に雛森は首を傾げたが 意味は直後解る事になった。
10秒程 しんとした空気が流れる。
そして
凄まじい騒音が 静寂の後を追うかの如く響いてきた。
ガタン!ゴト ドサドサ…バタン!ダンッ!
船員室に繋がる階段から 我先にといわんばかりに船員が溢れるようにしてのぼってくる。
「マトモな飯っ!食える飯っ!」
「マトモな飯っ!戻さなくて済む飯!」
皆が一同に同じ台詞をくり返している。
雛森はどれだけ酷い食事だったのだと唖然としていたものの 日番谷は全く気にもとめていない様子で自分の分を確保している様子を見ると恐らくいつもの事なのだろう。
「ああ 雛森自分の分とっておけよ。無くなる。」
「えっ あ はいっ!」
確かに日番谷の言った通りに あ。という間も無くシチューは消え去った。今食べないと死ぬといった程の勢いで。
皆大袈裟としか言いようが無い程な感想を口々に言い出す。
「うめぇぇっ…!」
「天使だ!」
「神だ!」
大袈裟だと思いつつも ほっとして微笑む。
「良かった 不味くはなかったみたいですね…。」
「そんな次元じゃないっすよ!」
「最早天国の味っ!嫁に欲し…」
そんな事を隊員が言いだした瞬間 鈍い音がして隊員が前のめりになる。
何がどうなったのかは解らないが 隊員が痛そうに頭を抱えている姿と その後ろで清々しい顔をしている日番谷を見る限りは 日番谷が強く隊員の頭を殴ったのだろう。
「一応紹介するが 覚えなくていいぜ。」
隊員は未だに頭をさすりながら 自分が何かやったかと首をひねっている。
自然と一人一人の自己紹介が始まる。笑みが零れる程明るい彼等に 雛森は安堵感を募らせる。
−海賊 なんて思えない 不思議な所…
「なぁ 歌ってくれよ歌姫さんっ!」
「えっ?」
一人の隊員が 期待の籠もった瞳でそう提案すると 周りの男達が激しい同意の意を見せる。が 日番谷は雛森が何か言う前に彼女の口を素早く塞いだ。
「駄目。」
一瞬の間の後 活字では表せない程の 大音量のブーイングが船内に響き渡る。
あまりのその音量の大きさに 日番谷は思わず耳を塞ぐ。きぃん きぃんと頭に響く程だ。
「お…お前等なぁ…」
隊員を睨みつけようと思ったが 意味が無い事を知っているので止める。
雛森の口から手を離し ぎしりと軋む椅子に座った。
「良いか。今日だけ特別だぞ。普段は一日一回しか聞かせねェからな。」
うわぁ と 歓声が上がる。
流石 太っ腹 と 口々に言う中で幾つかケチという言葉が混じっていたのは気のせい という事にしておこう。
「ほら 歌ってやれよ。」
くいと顎を船員の方に向けて 日番谷は雛森に言った。
こくん と 頷いてまた 口を開く。
思わず一瞬賛美歌を口にしそうになり 飲み込んでから海の歌を歌った。
海賊の歌でもない 海の歌だ。早いテンポが船室の中を明るくする。
手拍子が混じり 笑い声が混じり 雛森に合わせるように男達もまた歌い出した。
こういう表現も出来るのか。
日番谷は彼女の歌に耳を傾けながらそう感じていた。先に歌った歌は 優しい歌だった。
良酒で酔ったかのような気分が心地よかった。
自然と頬が少し緩んでくるのを感じながら それを元に戻そうとは思わなかった。
全てを飲み込んで
全てを産んで
嗚呼
嗚呼
私たちの 母よ
蒼く蒼く 広がり続けよ。深く深く 沈み続けよ。
何人かが酔いつぶれた辺りで 自分もまどろみそうになっていたのに気付き 日番谷はぱちぱちと目を覚ますために瞬きをした。
「さて お開きにするか。」
皆も多少は眠くなってきたのだろう。不満の声もなく おー という返事を受けて 日番谷はゆっくりと席から立ち上がった。
「雛森」
「は はい!」
律儀にぴんと背筋を伸ばして返事をする彼女に 日番谷はくすりと笑った。
「寝るか」
「…はいっ!」
その返事を確認したと言わぬばかりに頷いて 日番谷はすぅと息を吸って船員達に渇を飛ばした。
「いいか野郎共!明日は出向だ 気合入れろよ!」
「「「おうっ!」」」
さようなら 私の街
もっと後悔すると思っていたのに なんだか清々しい気分な自分を不思議に思いながら 雛森はまどろんだ。
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